花街の面影を尋ねて:渋谷円山町

円山町の歴史, 料理長たより

こんにちは、渋谷円山町のわだつみです。

外観_1

料亭の風情を残すわだつみですが、
元々円山町は花街として栄えていたことをご存知ですか?

私自身深く知らなかったので円山町の歴史を調べてみました。
調べてみると、円山町の歴史は江戸時代まで遡るんですね。

当時は大山街道の宿場町として栄えたそうです。
大山街道は、今でいうと国道246号線です。

花街として栄えだしたのは1887年のこと。
1887年といえば東京に初めて電燈が灯った年らしいです。
なんだかすごくノスタルジックな気分になりますね。

さて、円山町では義太夫流し(浄瑠璃の一種で語りの伴奏を三味線でする人達)
が宝屋という芸者屋を開店したことに端を発するようです。

そこから鉄道の発達とともに町が活況を呈するようになります。
電車の普及って人々のライフスタイルを激変させたんでしょうね。
馬車はかなり高価で誰でもは乗れないイメージがありますが、
電車が開通したことで気軽に町に繰り出せるようになった。

ざんぎり頭をたたいてみれば、文明開化の音がする

1913年には芸妓置屋24戸、芸妓60名、待合茶屋13戸ができたそうです。
それが1921年には芸妓置屋137戸、芸妓402名、待合茶屋96戸まで増えたとか。
その後、1980年を過ぎたあたりから、徐々に料亭が減ってしまっているようです。
バブルに入って人々の楽しみ方に変化が起こったんでしょうかね?

僕は、芸者文化や料亭文化が好きなので、
残っていったらいいなと思います。
次回の円山町の歴史は、
わだつみの周りを散歩して花街の面影を探してみたいと思います!

みなさんは、料亭文化が残るここ円山町わだつみに是非足を運んでみてください。
洗練された日本料理でおもてなしいたします。
(少しは宣伝もしておかないと笑)