小説「風前の接待」初めての接待を当店の雰囲気がアシストします
渋谷の隠れ家料亭・円山町わだつみです。
当店の自慢のひとつは「個室」です。
特別感が溢れる個室は、接待の場所として人気です。
近頃は、ディナーだけでなく、ランチで接待をなさる方もいらっしゃいます。
今回は、当店自慢の「個室」を舞台にした「ランチ接待」を、小説仕立てでご紹介します。
初めての接待でも安心できる雰囲気を、イメージいただけたら幸いです。
主人公は、ITベンチャーの副社長。
社長は彼の友人。社員は2人だけです。
営業を担当している社長が、突然、大切な接待に出られなくなります。
客先にほとんど出ない主人公は、当然、接待も初めてです。
果たして、初めての接待は成功するのでしょうか……。
小説「風前の接待」
空梅雨が明けた。空は憎いほどに青い。私の心中は曇る一方だ。
昨晩、社長が出張先の公衆電話から連絡してきた。
「すまん。西日本に台風直撃!新幹線が止まっちまった。だから任せた。明日のランチ接待、任せたよ」
「おいおいおい、渋谷だろ。僕には合わない街だって何度も言ったろ。だから行かないって。そもそも接待なんて初めてだよ。無茶ぶりだって」
「大丈夫、静かな隠れ家っぽい個室料亭を選んでおいた。板長には、社運がかかった接待だって、よく頼んどいたから。大丈夫。大丈夫だって。」
「君が二回繰り返すときは、だいたい根拠に確信を持てないときだ」
「あ、すまん、後ろすげえ並んでる。切るね、ランチ接待よろしく。任せた」
“円山町わだつみ”ってところだからね、と場所を歌うように伝え終わると、彼は電話を切った。鈍いリズムでツーツーが聞こえる。
***
なるほど、確かに円山町という場所は静かな空間だ。しかし、カップルが使うようなホテルが集まっている場所じゃないか。そこを曲がった男女もカップルか?スーツ姿で何やってんだか……
“円山町わだつみ”をネットで調べて、スマホの地図を頼りに来たのだが、本当にこんなところに“隠れ家っぽい個室料亭”があるのだろうか。不安になる。
スマホのGPSがすぐそばを示し始めた。
と、新鮮な花が供えられたお地蔵さんを見つけた。石の肌合いに歴史が歴史を感じさせる。それも屋根付きなんて、
「よっぽど大事にされているんだなあ」
と思わず手を合わせる。初めてのランチ接待が成功しますように……
***
スマホが目的地への到着を、アナウンスで告げた。顔を挙げる。
と、目的地とおぼしき古い日本家屋の前に、さっき見たスーツ姿の男女がいる。
目が合った。
「あ、緑のネクタイ……」
私に聞こえないように2人で囁き合ったつもりらしいが、静かな土地なのではっきり聞こえた。緑、だからどうした。
「もしかして株式会社ソウゲンの原田さんですか?」
驚いた。
「え、ええ」
思わず首肯。
「社長の草加さんが言ってたとおり、本当に緑色!」
笑い声。私も照れて笑う。緑が勝負ネクタイなんです、と漏れる本音。
雰囲気が解れ始めた。
▲円山町わだつみの外観
***
入り口へと向かう回廊。ほのかな灯り。灯篭。草いきれ。空気が変わった。
背中で雰囲気に感じ入る息遣いを聞く。
私の鼓動も落ち着いている。
▲円山町わだつみの回廊
***
「ソウゲンの原田様ですね。草加様より伺っています」
大仏のように穏やかな表情の板長が、回廊のさらなる深部へと誘う。ゆったりと「こちらへ」と私たちを誘う。
奥に行き着くと、空が開けた。目の前に蔵のような建物がある。
「こちらが“円山町わだつみ”の離れの個室です」
「酷暑だというのに、ここのあたりはなんだか風が爽やかね」
接待の相手の女性が言う。板長が、“円山町わだつみ”には四季の緑が多いですからと説明した。
「私のネクタイも緑ですしね」
ぷ、ハハハハハ。
接待相手の男性が笑ってくれた。照れて私も笑う。
蒼天のもと、いつのまにかみんなで笑っていた。
***
「ほんと……素敵なところ」
冷えたおしぼりで手を拭きながら、接待相手の女性が言った。
「でも驚きました。渋谷にこんな場所があるなんて」
接待相手の男性が私の目を見て話す。
「確かに弊社は渋谷にありますが、円山町にこのような場所があるとは、正直、意外です。素敵な料亭をご紹介くださり、ありがとうございます」
普段客先に出ない私は、褒められるのには慣れていない。ありがとうございます、とついオウム返しをしてしまった。
接待相手の男性は、しみじみと目を細め語り始めた。
「忘れてほしくない歴史は身近にあるんですよね。それに気づける人たちの力に、弊社はなりたいと思っています。あなたはお地蔵さんに手を合わせるような人だ」
見られていたのか。
と思いながら、また、ありがとうございますと言った。
扇型の窓の向こう、涼やかな笹がゆれている。今、風が吹いているらしい。
▲円山町わだつみの個室「離れ」